忍者ブログ

[PR]

2024年10月07日
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

『「自分のために生きていける」ということ』を読んで 3

2011年07月18日
この記事はめっちゃ長いです。
ついでに、JWや親のことを結構批判しているところもあるので、
そういうのが嫌いな方は読まないほうがいいかもしれません。



◆「社会自体が病的にゆがんでいる」。それに合わせようとして自分自身の欲望を見失う

以前から、過労死するまで働く人の話を聞いたりすると、何かが違うと思っていました。
もっと大切にしなきゃなんないものとかあるだろう、と思うわけです。

それってどういう状態かというと、この本の言葉を借りれば
「自分の意志を放棄し、『他人のために生きる』ように強制する社会」(p.44)
に人々が「嗜癖」しているということです(「嗜癖」≒「依存」)。
こうして結局は自分自身の欲望を見失ってしまうのだそうです。

これにはなかなか共感できました。
自分のしたいことがない、分からないというのは、それまで何かに依存して、
それに合わせることしか考えてこなかったからだと思うのです。

それで僕も、エホバの証人を辞めたあとは
果たして自分はいったい何をしたいんだろう、という気持ちになったのでしょう。

そして、エホバの証人ではなくても、社会からのけ者にされないようにするために
社会に合わせ、自分のやりたいこと、自分の欲望を見失ってしまっている人が
かなりたくさんいるのではないかと思います。



◆「パワーゲーム」の戦い方(p.126~)

著者は競争を「パワーゲーム」と呼んでいるようです。

先ほど「社会自体が病的にゆがんでいる」という言葉に触れましたが、
そうやって社会を批判して現実逃避して終わり(これエホバの証人です)、
みたいになっていないのがこの本のいいところです。

著者は、生きていく以上そのゆがんだ社会で「パワーゲーム」に
参加しなければならないことを認め、その戦い方を教えてくれています。

それは、勝つことだけを目標にせず、その過程を楽しむっていうことです。
負けたら負けたでまた頑張ればいいや、と。
自分の本当にやりたいことならきっとそう考えられるはずです。

自尊心のない人は、つい数値化してものを測ってしまいがちなので
いつも勝ち負けを気にしてしまい、それはつまり周囲の人がすべて競争相手
であるということなので、結局人と仲良くなれないといいます。
これにはハッとさせられました。
確かに自分が楽しんでいれば、勝ち負けなんて関係なくなるはずです。
勝ち負けなんて関係ないと頭では考えていたものの
自尊心がないために結局自分が一番勝ち負けにこだわっていたのかもしれません。

「結果重視の価値観から降りたところに、
 本当の喜びがあり、本当のパワーがあるのです」
という言葉が心に残りました。



◆「やさしい暴力」(p.81)

親の期待を子供に押しつけてしまう、そういうことについての話です。

これ少し前の自分だなあ、と思うような文章が出てきました。

『「偽りの自己」を生きている人は、どこか自分でも「ウソくさい」と感じたり、
 人に媚を売ったり卑屈になっているような気がして自己嫌悪に陥ったり、
 自分の人生に満足感を得られないのです。』

ちょうど「小さな違和感」の時のような状況だと思います。
何かがおかしい、という感じ。
自分のやりたいことではないような気がする、という感じ。
それを既に発見できていたのがとてもよかったと思います。

この「偽りの自己」は、親の期待によりできあがることがあるといいます。
実際自分の場合もそうだったのでしょう。
エホバの証人であることを期待されていたのです。

子供はとても弱い。親がいなければ生きていけませんから。
多分自分も無意識下でそういうところがあり、
(また聖書の「親に従順に…」についてのエホバの証人の説明を真に受けていたところもあり、)
気づいたら親の思うとおりに生きてきたということなのだと思います。

自分もこの本にあるような「他人の期待を読み取ることばかり上手で、
自分自身の欲望が分からなくなってしまった子供」でした。
このように「偽りの自己」で身を固めてしまうがために、色々なサイトに書いてあるような
「死んだ魚の目をしたエホバの証人(の2世)」ができあがるのだろうなと思います。

そして、「本当の自分」「いきがい」を見出すのがなかなか大変になるといいます。
今の自分がそういう状態だと思います。

また、母親が子供にべったりになってしまうということの問題も取りあげられており、
うちではまさにそういう状態だったと思いました。

ついでに著者は、そういう親自身も実は他人の期待にそって生きてきたのでは、
と指摘しており、うちの場合もそうかもしれないなと思いました。
エホバの証人の宗教を信奉することも一種の依存ですので、
きっと母親も何かそういう問題を抱えているのだと思います。



◆怒る

著者は、両親への人生の早い時期の恨みがため込まれることが
寂しさ、孤独という状態につながると言っています。(p.114)

そして、恨みと鈍磨してしまった感情の処理には、「怒る」ことが必要だそうです。
「自尊心を奪い取っていたものに怒れ」(p.114)という部分によれば、
すべて自分が悪い、と思ってしまうことがよくあるそうです。
怒る対象を間違ってしまうとよくない結果になりそうだということが分かりました。

そこで、自分の「自尊心を奪い取っていたもの」、それはなんなのだろう、と考えてみます。

一つは、エホバの証人の教理だと思います。
一見平等主義のように見えて実はかなりの階級社会。
「特権」という言葉であいまいにされた階級が存在しています。
「長老」「僕(しもべ)」「開拓者」…。
ことあるごとにそういう「特権」を手に入れるように勧められますが、
それができる状況じゃない人はどうしたらいいというのでしょう。
さらに毎週の集会では「~するようにしましょう」「~すべき」ということが
いくつも語られ、真剣に学べば学ぶほど自分のダメな点ばかり見えてきます。
いつまでたっても受け入れられた感じなどしません。
そうした決まりもまた厳しすぎるものが多く、
努力すればするほど生活の様々な面で質が下がってしまうという悪循環に陥ります。
そして極めつけは子供を社会活動に参加しにくくさせる教えです。
世との交わりを避けるようにという教え、様々な行事に参加できない教え。
浮いたように感じる機会が(というか実際に浮いてます)多くて、
周りの人たちとの距離を感じることがすごく多い。
これでは自尊心など持てたものではありません。

そしてもう一つは、それを信じて実践した母も問題だったと思います。
母は僕がエホバの証人であることを期待していました。
僕がエホバの証人であることが一番の幸せだと考えています。
そしてエホバの証人の教えが正しいと信じて疑わなかったので
その教えに足りない部分を見抜くことができず、
僕の必要を満たすことができませんでした。
そして母自身、自尊心を持てないまま子育てに突入してしまったのだと思います。
エホバの証人の教えに依存して自尊心のなさを紛らしている状態の人が、
どうして自分の子どもに自尊心を持つ方法を教えられるというのでしょう。
自尊心が持てないのは自分も経験していることなので、この点同情してしまいますが。

ここで、さらにもう一つ、
自分で自分を縛っていたので苦しくなったというのもあるかなと思いましたが、
実はそれこそ自尊心のない状態にありがちな
「自分が悪い」と思ってしまうことなのかもしれません。
自分は特に十代後半以降は自分自身を何かの決まりで縛ってしまうことが多かったのです。
でもそれって、どうもこの本を読むと決まりへの依存という一種の依存で、
自尊心を持って生きる生き方を教えてもらえなかったことが根本原因にあると考えられます。
確かにこれからは自分で自分を縛ることのないように気をつける必要はありますが、
それでも根本原因は自分にあるのではないということを認識したいと思います。

さて、これで十分「怒った」と思います。なんだかすっきりしました。(笑)
きっと今ので、生き生きした感情に少し近づいたのでしょう。
考えてみたら、人間は怒って当たり前なんですからね。
僕は「怒らなさそう」だとある人から言われたことがありましたが、
裏を返せばそんな僕は実は生き生きしてないということだったのかもしれません。



◆「ほれこみ」(p.129)

「あなたがいきいきと喜んだり涙を流したりした…経験」
そういう「ほれこみ」の数が人生の豊かさにつながるといいます。
この体験を心の「預金通帳」に書き込み、死ぬときまでに
それをどれだけ増やしてあの世にいけるかが本当の勝負だということです。

これからはそういった経験を本当に大事にしたいと思いますし、
そういうことにエネルギーと時間を費やすことを惜しまないことが
とても大事なのだなあと思いました。
これって本当に自分の欲望ややりたいことに敏感でないと、
「ほれこみ」は発生しないわけですから、
自分の欲望ややりたいことは何なのか自問するのも大事になってきますね。

これがきっと「人生にイエス」の本でいう「体験価値」ですね。
少しあの本とつながってると思います。
あの本では「態度価値」が最重視されていましたが、それは「態度価値」でしか
人生に意味を見いだせないような極限の状態に焦点を当てていたからでしょう。
今の日本では別に明日飢え死にするような心配は全くないですから、
「体験価値」も同じくらい重要視しなければならない状況なのだと思います。
「態度価値」は、「創造価値」や「体験価値」を生み出すのに疲れてしまったり
または生み出せない状況にあったりする人のための
最後の砦のようなものなのではないかと勝手に思っています。



◆ほれこめる条件

それは、「まず自分自身にほれこむこと」だといいます。(p.134)

「ほれこむ」と言えばやはり恋愛がありますけども、
自己評価が低いとそれがうまくいかないという
以下のようなパターンが示されていました。

「あんなすてきな人が、私なんかを好きになるはずがない」と考える
 ↓
あまりみんなが手を出さないような人を選ぶ
 ↓
「仕方なく」で選んだ人だから、心から愛せない
 ↓
関係が緊張、破綻
 ↓
さらに自己評価が低くなる

これを見て、自己評価が低いってなんて損なことなんだろう、と思いました。
これまでは自分を愛することは後まわしというか全く考えていませんでしたが、
自分を自分で愛せていないと、結局どんな関係もうまくいかなくなってしまう、
ということがよく分かりました。

そんな様子をまとめたのが筆者のこの言葉。
「『私は十分、幸せだ』という自己充足をしている。…
 実は、そういう状態のときこそ、本当に他人を愛せるのです。」
人を幸せにしたいなら、まず自分が幸せになる方が先、っていうことですね。
自分が幸せじゃなかったら、結局他人に幸せにしてもらわなきゃならなくなるから。
今まで人間関係がうまくいかなかった原因が何なのかが分かり、納得できました。



◆自己肯定

著者は「自分の欠点を探し回るのはもうやめよう」(p.152)と勧めています。
この部分を読んで、自分の欠点に注目して自分をよくしようとしても、
結局行動できない状態になってしまうことが分かりました。

ここで、自己肯定を高めるトレーニングが紹介されています。
「自分はダメだ」という気持ちから解放されるためのトレーニングです。

「あなたは、鏡に映る自分の目をじっと見つめながら、次のように言えますか?

  あなた、ステキよ。それでいいのよ、そのままでいいのよ。
  あなたは人に愛されて当然だし、受け入れられて当たり前なのよ。

 もしいえないようなら、練習しましょう。」(p.156)

言えません、というのが僕の答えでした。
この文章が女性の使う言葉で書かれていたからです。

というのは冗談で(それくらいは柔軟性があります)、この文章を最初に読んだとき、
そうか、これを自分に言えるようになれば自信が持てるのか、と思いました。
そして、生き生きしてる人ってのはこういう前提で生きてるのだな、と。
やっと問題の核心部分に到着できたのだ、という感動を覚えました。

それで、早速男でも使える言葉に変えて書き出し(笑)、そいつを読んでみました。
読むのはまあなんとかできたんですけど、
実際鏡の前で自分の目を見ながら言うと、思わず笑ってしまいました。
照れくさいっていうかなんていうか、まあそんな感じです。
その後、何回か言っているうちにだんだん慣れてきました。
でもやっぱりまだ笑っちゃうことがあります。

で、日常で今までは引っ込み思案になっていたかもしれないような場面に遭遇したときに、
この言葉を思い出して、結局行動しちゃうという感じなんです。
積極的になれている感じです。

おもしろいですね。
自分はそのままでいい、と言い聞かせたので
自分の欠点に目が行かなくなってしまったんでしょう。
だからより積極的に人と関われるようになったのだと思います。

また、別の本で読んだんですが、人は、あることを口にすると
その理由を探しちゃうんだそうですね。
「自分はステキだ、そのままでいいんだ、愛されて受け入れられて当然だ」
って言うと、きっとその理由を探すようになるのでしょう。
自分にはこんないいところもある、こんなこともできる…、と。

実際やってみていきなり効果が感じられたので、
これは自分にはかなり使えると思いました。
以前と比べて生活する上で気が楽になったように思います。

あとはこれを継続できるかが大事なんだろうなと思います。



◆「インナーチャイルド」

ここで言う「インナーチャイルド」とは「子供のあなた」(p.169)のことだそうで、
それをちゃんとかわいがってあげたほうがいいということです。
そんな子供のような欲求にも耳を傾けて、行動するということですね。
子供に返る時間があってもよいのだということです。
いつも気が抜けない状態では息が詰まってしまいますしね。

あとは、自分の中の「インナーチャイルド」を
呼び出してみるという訓練方法もありました。(p.177)
子供の頃の自分をイメージして、その子がなんていってるか、
何か一緒にやりたいことがあるか聞いてみるという方法です。

ちょっとこれはなかなか難しかったのですが、まあ、
自分の中の子供は多少贅沢がしたいそうです。
いや、贅沢っていうか、世間一般と同じように普通に暮らしたいそうです。
缶ジュースが気軽に買えるくらいの経済状態を求めているようです。

ああ、これが僕の本心なんだな、って思いました。
なんか単純で分かりやすい欲求ですね。

自分の欲求を押し殺しすぎているとその子は本当に何も言ってくれないそうです。
単純でしたが、何か出てきただけよかったんだなと思ってます。

多分もっと聞いていくと色々出てくるんじゃないかと思います。
それはまた今度。

ところで初めはこの手法、「呼び出す」という言葉で死んだ人を呼び出すイメージと
つながってしまい、どこかオカルトっぽい雰囲気だなぁと思ってしまいました。
でも、これは実際のところ過去の自分を見つめる作業なわけですし、
子供の言ってることから、「あ、自分はこれがしたかったんだな」と思えれば、
それが自分の欲求を押し殺してしまわないためのきっかけになるわけなので
多分関係ないだろうと思っています。





そのほかにもいろいろありますが、いろいろありすぎて書き切れません。
特に自己効力感を高めるトレーニングを継続して頑張りたいと思います。

前回に引き続きまた長くなってしまいましたが、目を通してくださった方には厚く御礼申し上げます。

そして、就職前にこうして色々考え、行動する時間がとれたことを
本当にありがたく思っています。
PR
Comment
No title
とても興味深く読ませて頂きました。

自分を愛するということは、つまり自分を大切にするということですね。

感じるままに、直感に従って行動されてみることもおすすめします。

思考のはいる余地がなくなると、次第に心は開放されてきます(と思います)。

これは難しいテーマですね。

Re:No title
こんな長い文章を読んで頂いてありがとうございます。

>感じるままに、直感に従って行動
そういえば、現代人は自分の感性にもっと頼れって書いてある本もありました。
意識してみたいと思います。

>思考のはいる余地がなくなると、次第に心は開放されてきます
考えすぎると行動できないっていうのもやはりそれに関係あるんでしょうか。

本当になかなか難しいテーマだなあと思っています。

自分も他人も大切にして生きているうちに、気づいたら癒えていた、
なーんて感じにうまくいったらいいなーと思ってます。
No title
>自分も他人も大切にして生きているうちに、気づいたら癒えていた

素晴らしい考え方ですね。わたしもそのように意識してゆきたいです。



Re:No title
あくまでも理想ですから…(笑)
それにしてもバランスも難しいところですよね。
読ませていただきました。
「うむうむ。」と頷きながら読ませていただきました。


他人の期待にそって生きている人って、きっと多いんじゃないかなって思います。

実は、以前の私もそうでした。

けれど、この生き方では自分自身も大切な絆も壊してしまうと気がつきました。

自分は何がしたいのか?
自分は何を求めているのか?
自分は何を守りたいのか?
どんな生き方がしたいのか?

こんな風に何ども自分に問いかけ続けていました。

そして、
ぼんやりとこんな生き方をしたいなって道標が見えてから、今までの不安や不満が薄れてきたんです。

確かに心がしんどくなるときは度々あるのですが。
不思議と乗り越えられるんですよね。

なんて言うんでしょうか…。
自分流?とでもいうのでしょうか?
誰かの考えた生き方とは違う、自分なりの生き方を自分で見い出せたとき。
自分を取り囲む幸せに気づかずにはいられなくなるんです。


ん?
何だかわかりにくいですね。


わかりやすくコメントしたいのですが、言葉がなかなかまとめられなくて…(汗)
そして長くて申し訳ありません。


Re:読ませていただきました。
自分も似たようなことを感じ始めているので、
とてもよくわかりましたよ。

JIOさんもそういうことがあったんですね。
やはり他人のためだけに生きている人も
結構多いのかもしれませんね。

>この生き方では自分自身も大切な絆も壊してしまう
これに気づいたってすごいですよね。
自分はたまたまこの本と出会ってやっと気付けました。

>誰かの考えた生き方とは違う、自分なりの生き方を自分で見い出せたとき。
>自分を取り囲む幸せに気づかずにはいられなくなるんです。
言いたいことがよく伝わってきますし、
自分も実感しつつあることなので感覚的にも何となくわかります。
日本は特に他の人に合わせるのがよいとされている感じがしますが、
実は自分のやりたいことを大事にするのも、幸せになるために
必要なことなんですよね。

今書いていて思ったんですが、逆に元々自分のことしか考えない人が
他人にも目を向けて幸せになる、なんていうパターンもあるのかな、
なんて思ったりしました。

要はバランスみたいな気がしてます。
僕らはたぶん自分のことをもっと大事にして初めて
バランスがとれる方へ向かえるのかもしれませんね。

あ、脱線しましたね。(笑)

長い記事を読んでいただいてありがとうございました。
No title
斉藤学氏は知っていましたが、特に著書を読んだことはありませんでした。

「人生にイエス」→「自分のために」の流れは確かに、順序として良いのかもしれないと思いました。

自己肯定については、自分も今でも取り組む必要を感じています。(「自己肯定力が低すぎる」と冗談まじりによく言われます)

自分を大事にすることがあまり得意でないような自覚はありますので、ここでご紹介いただいた本は、自分も早速購入してみました。ありがとうございます。
Re:No title
自分は斉藤学さんを知らなかったんです。
でも本を読んでみると結構納得できる話だなあと思いました。

依存とか自己肯定とかについてのほかの方の本はまだあまり
読んでいないので自信を持ってこの方を推すことはできませんが、
自分を大事にするということについてとても考えさせられ、
自分にプラスになる内容だったことは確かです。

ゴリさんにとってもこの本が役に立つといいですね。
No title
なんとか伝わったみたいでよかったです(笑)

>自分はたまたまこの本と出会ってやっと気付けました。

いえいえ。
私も自分一人では気づけなかったと思います。
私もたまたまですよ。
たまたまJWの方を好きになって、聖書を読み、調べ。
自分なりに考えたことで気づくことができました。。(やはり、JWの生き方は組織の考え方に依存していると感じました。)



きっと彼を好きにならなかったら、このことには気づけなかったかもしれません。
自分で考える事の大切さを実感しました



>要はバランスみたいな気がしてます。

私もその通りだと思います。
全てのことにおいてバランスを保つことは重要で。
そして難しいことだと思います。
だから私たちは日々、悩んだりするんだろうなって思います。
けれど、
偏らないことが大事だと気づいてしまえば、躓く度に考え直すことができます。
立ち止まってしまっても、いつか前に進むことができます。


>逆に元々自分のことしか考えない人が 他人にも目を向けて幸せになる、なんていうパターンもあるのかな、
なんて思ったりしました。

確かにありえることだと思います!


あ!
大事なことを書き忘れていました!
Extimさんのブログを読み始めた時から思っていたのですが。
Extimさんの考え方はとても素敵だと思います。
だから、きっと。
これから素敵な出会いや出来事がたくさんあるんじゃないかと思います!
お仕事頑張ってくださいね!
Re:No title
そうですか、JWと接点が有ったことが
自分を見つめ直すきっかけになったんですね。

そうですね、バランスってなかなか難しいですよね。
自分もよく悩みます。

>偏らないことが大事だと気づいてしまえば、
>躓く度に考え直すことができます。
>立ち止まってしまっても、いつか前に進むことができます。
本当にそうですね。偏ってしまうのは一見楽ですが、
自分で自分を苦しめる結果になっちゃいますからね。

素敵って、いや、まだまだですから…。
(といいつつ、この本を読んだおかげで、「そういう部分も
あるかもなあ」と心の中では思えるようになりました。笑)

ありがとうございます、仕事がんばります!
無題
◆怒る の項目は正に10数年前の私と、会衆でした。
そう思って離れました。

まだ離れてますが、結婚や子供を持つことについて考えなければならなくなり、ますます自然が狂っている事は深刻化する一方だと認めるしかありません。

世間の流れを見ていると、真理は無視出来ないなぁ~って、
自分はさておき、預言の成就を願いながらNewsを見ています。
結婚を考えてる彼に、『幸福な家庭を築く』の本貸してみたら、
漫画しか読まない彼がサクサク読み出し、『モラルについて書かれた手引き書』みたいだと言っていました。納得できる内容だったそうで。
強制ではないから、そうコメント出来たのでしょう。

そしてJW関係なく、彼も『世の』友人も、皆それぞれ子供の頃に掛けられた言葉は、大人になっても重圧になっている事があります。
それに、いつ気付くかが違うだけで。

生きるって大変ですが、お互い頑張りましょう。
Re:無題
こんばんは。
ふぅさんも同じように思って組織を離れたんですね。

先を考えると色々不安はありますよね。
でもまあ、明るい面も全然ないわけでもなく、
ポジティブに考えると意外にうまくいっちゃったりすることもありますし。
何が幸せにつながるかなんてわからないものです。
(と言いつつ、実は自分に言い聞かせてたりします。)

ところで、
「ありがとう」と1日3000回言ってみよう、と書いてある本がありました。
3000回は言えませんでしたが、やってみました。
そうすると、周りにあるとにかくすべての物・人がありがたくなってきました。
「ありがとう」と言うと、なぜそうなのか、ありがたいのかという理由を
探してしまうんですね。

不安も同じなのかななんて思います。
不安に思っていると、周りにあるすべてを不安要因にしてしまう。
自分でわざわざ不安材料を探していたりするわけです。
そんなとき、今の自分の状況のラッキーな部分にも
目を向けられたらいいですよね。
自分もそうなんですが、家族でも恋人でも、愛してくれる人がいること、
自分がそれだけ幸せなんだということも、忘れてしまうことがあります。

話がそれましたが、世の中の出来事をエホバの証人の預言の成就と見ると、
不安を増やすことにはならないでしょうか?
実はそれほど危機的な状況になっていなかったりはしないでしょうか。

この点はそれぞれの感じ方によってすべてが変わってきますから
強くは言えませんし、ふぅさんの考え方を尊重したいですが、
あまり悲観的にならずに良いNewsも今日から探してみませんか。

僕も、そうやってこれからも前向いて今を生きていきたいと思います。
無題
ありがとうございます(*^_^*)

仕事柄、
自然破壊や病気について考える機会があるので、割り切らなくてはやってられない時もあります。

明るいnewsも確かにありますね。
とりあえず私個人はとても恵まれています☆

感謝と、そして
割り切りも大切なのかもしれませんね…
Re:無題
コメント、ありがとうございます。
書きすぎたかななんて思ってちょっと心配しましたが、
そういうことでしたか。

ふぅさんはきっと優しい方なんでしょう。
そしてきっと困っている人の役に立つような
お仕事をなさっているのでしょう。

自分ももちろん割り切りすぎて無感覚になりたくはないですが、
世界の問題、悲しみや苦しみに全部まともに共感して
正気でいられる人もまたいないと思うんですよね。
単純計算で自分のそれの70億倍くらいあるわけなんで。
自分を守るという意味で、ある程度割り切ることに
後ろめたさは感じなくていいのかなとも思っています。

まず自分が幸せで豊かな気持ちになれて初めて、
困っている人を助けられるのかななんて思うことがあります。
幸せのお裾分け、みたいな。なんか悠長すぎたらすみません…。^^;
無題
いえいえヾ(´`)

そうですね。
自分が幸せであること
前向きであることで、
周りの人にそれが少しずつ伝わっていく…

素敵な事ですね('-^*)☆
Re:無題
そうですね、そうありたいものです。
  Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
Trackback
トラックバックURL: