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2024年10月07日
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「それでも人生にイエスと言う」を読んで 3
2011年06月25日
(3, 4 は実は少し前に書いていましたが、今日もう一度読み直してアップしました。
それで、記事中の「今日」は少し前、ということになります。)
「Ⅲ 人生にイエスと言う」を読んでの感想
この部分では強制収容所での出来事などが多く取りあげられていましたが、
エホバの証人をやめて自由をかみしめながら生きている今、
どうしても強制収容所をエホバの証人と重ねて考えながら読んでしまいました。
そうして読むとやはり色々自分に当てはまることや学べることがあったりして、
その観点で読んだのは正解だったと思いました。
◆「退行」
強制収容所では自分と周りの人の生命を守ることにしか関心が向かなくなります。
内面的な水準が下がってしまったことから、ある精神科医はこれを「退行」と表現したそうです。
でも、実際は強制収容所で内面的に進行して大きな人間に成長したケースも多いといいます。
エホバの証人も、確かに関心の対象がかなり限られてしまう状況にあったわけですが、
だからといって必ずしも内面の状態が衰えてしまったというわけではないと言えると思います。
エホバの証人の教えの中で使える部分も確かにありますし、
苦悩の中から学ばされたこともいろいろあります。
そういう意味で、自分が何か特別に内面という点で劣っているように感じる必要はないと思えました。
◆「あと六週間たったら戦争は終わる。」
著者が言いたかったこととは多分ちょっと離れてしまいますが、
聖書の「何度も幻滅した心は病気になる」という言葉が出てきました。
(新世界訳の「延期された期待は心を病ませる」ですね、多分。)
あとどれくらいで自由になれる、といううわさが強制収容所内で流れ、
それが実現しなかったたびにやはり幻滅が深くなったそうです。
これはまたエホバの証人の教えでも経験したことですが、
耐えればよい期日が何度も延ばされるというのは
やっぱり人をとてもがっかりさせ、気力をなくさせるものです。
「きっと自由になれます。いつになるか分からないけど。」というのでは、
心の支えにはならないことでしょう。
◆解放
ここが特にエホバの証人をやめた今の自分と重ね合わせて考えてしまったところです。
解放されるということに伴う様々なことが少し今の自分に当てはまるような気がします。
解放を喜べるには何日もかかる
喜ぶと言うことを学び直す必要がある
またもう一度苦悩を学ばなければならないこともある
特に上に挙げたような言葉に共感できます。
今はエホバの証人をやめたことを心から喜べますし、正しい判断をしたと思えます。
でも、1年くらい前は「これでいいのだろうか」という気持ちもほんの数%でしたがありました。
また、今まで我慢してきたことを実際にやろうとすると、
本当は楽しいはずなのに楽しめなかったりすることもありました。
そして、エホバの証人であったゆえの苦悩も
多少ではありますが未だに尾を引いています。
もちろん強制収容所とは比べものにならないくらい小さな事だと思いますが、
それに似たようなことがまたここにあるのは事実のような気がします。
それだけこの本が自分にとって必要だったということだと思います。
◆誓い
著者は、生き延びたことを恩寵と考え、その恩寵にふさわしいものになり、
少しでもそれに見合うようになる義務があると考えたと述べています。
自分も、今の状況の中で今の自由を最大限に生かして
人生からの問いに答えられるよう精一杯努力したいと思います。
また、新しい状況になって失望した人がそれを克服するには、
「謙虚さ」と「勇気」が必要だと述べています。
すべてを受け入れる謙虚さと、
例えば神以外のものを恐れなくてもよいというような勇気。
(自分の場合は多数の日本人と同じく神すら恐れなくてよくなりましたが。)
確かに状況を受け入れたり、変えられるものを変えるには、
謙虚さと勇気が必要だと思います。
すべてを受け入れるにはまだまだ時間がかかると思いますが、
過去を苦々しく思うことはあまりないので、だいぶ受け入れつつあると思います。
そして、今できることをしようと実際行動に移しているので
ある程度は勇気を出して行動をしていると思います。
今の自分のやっていることが(少なくともこの本の著者の意図を基準にすれば)
間違っていないのだなという元気をもらえました。
そして、「パンがある、ベッドで寝られる、点呼にたたなくてよい、
死の危険から解放されているといった状況を感謝を持って受け止める」という誓い。
本当に今経験できている自由が素晴らしいことだということを、
一時も忘れたくはないと思います。
今日ハローワークの待ち時間に読んだ本で「3秒でハッピーになる名言セラピー」
というのがあるのですが、その中で繰り返し「ありがとう」と言ってみようと
書かれていました。とにかく全部のことに「ありがとう」。
「ありがとう」とつぶやきながら掃除するんだそうです。
そして帰りに、見かけた色々なものに向かってもしありがとうを言うとしたら、
と考えてましたが、そうすると、
不思議と目にするすべてのものが当たり前じゃなく見えてきました。
それがあって(またはその人がいて)本当にありがたい、幸せだと思えてきました。
いつまでもこの感謝の気持ちを忘れずにいたいと思います。
◆永遠
日常は永遠になる。
日常は歴史になる。
まだ起こっていないことを起こす責任がある。
その責任はとても素晴らしいものでもある。
この本からそういうメッセージを受け取りました。
自分や自分の周りの人が瞬間ごとの自分の決断にかかっていると考えると、
そして、自分が行動を起こさなければ消えて存在しなかったかもしれないものを
自分が行動することで現実にすることができる、と考えると
人生に問われていること(責任)がとても有意義なことに思えてきます。
その責任をみごと果たしたのが強制収容所の囚人達でした。
今の自分はそれと比べれば大して苦しい状況にはありません。
そう考えれば、自分も「人生にイエスと言う」ことができます。
どんなに苦しいときでも、そうできると思います。
(4へ続く)
それで、記事中の「今日」は少し前、ということになります。)
「Ⅲ 人生にイエスと言う」を読んでの感想
この部分では強制収容所での出来事などが多く取りあげられていましたが、
エホバの証人をやめて自由をかみしめながら生きている今、
どうしても強制収容所をエホバの証人と重ねて考えながら読んでしまいました。
そうして読むとやはり色々自分に当てはまることや学べることがあったりして、
その観点で読んだのは正解だったと思いました。
◆「退行」
強制収容所では自分と周りの人の生命を守ることにしか関心が向かなくなります。
内面的な水準が下がってしまったことから、ある精神科医はこれを「退行」と表現したそうです。
でも、実際は強制収容所で内面的に進行して大きな人間に成長したケースも多いといいます。
エホバの証人も、確かに関心の対象がかなり限られてしまう状況にあったわけですが、
だからといって必ずしも内面の状態が衰えてしまったというわけではないと言えると思います。
エホバの証人の教えの中で使える部分も確かにありますし、
苦悩の中から学ばされたこともいろいろあります。
そういう意味で、自分が何か特別に内面という点で劣っているように感じる必要はないと思えました。
◆「あと六週間たったら戦争は終わる。」
著者が言いたかったこととは多分ちょっと離れてしまいますが、
聖書の「何度も幻滅した心は病気になる」という言葉が出てきました。
(新世界訳の「延期された期待は心を病ませる」ですね、多分。)
あとどれくらいで自由になれる、といううわさが強制収容所内で流れ、
それが実現しなかったたびにやはり幻滅が深くなったそうです。
これはまたエホバの証人の教えでも経験したことですが、
耐えればよい期日が何度も延ばされるというのは
やっぱり人をとてもがっかりさせ、気力をなくさせるものです。
「きっと自由になれます。いつになるか分からないけど。」というのでは、
心の支えにはならないことでしょう。
◆解放
ここが特にエホバの証人をやめた今の自分と重ね合わせて考えてしまったところです。
解放されるということに伴う様々なことが少し今の自分に当てはまるような気がします。
解放を喜べるには何日もかかる
喜ぶと言うことを学び直す必要がある
またもう一度苦悩を学ばなければならないこともある
特に上に挙げたような言葉に共感できます。
今はエホバの証人をやめたことを心から喜べますし、正しい判断をしたと思えます。
でも、1年くらい前は「これでいいのだろうか」という気持ちもほんの数%でしたがありました。
また、今まで我慢してきたことを実際にやろうとすると、
本当は楽しいはずなのに楽しめなかったりすることもありました。
そして、エホバの証人であったゆえの苦悩も
多少ではありますが未だに尾を引いています。
もちろん強制収容所とは比べものにならないくらい小さな事だと思いますが、
それに似たようなことがまたここにあるのは事実のような気がします。
それだけこの本が自分にとって必要だったということだと思います。
◆誓い
著者は、生き延びたことを恩寵と考え、その恩寵にふさわしいものになり、
少しでもそれに見合うようになる義務があると考えたと述べています。
自分も、今の状況の中で今の自由を最大限に生かして
人生からの問いに答えられるよう精一杯努力したいと思います。
また、新しい状況になって失望した人がそれを克服するには、
「謙虚さ」と「勇気」が必要だと述べています。
すべてを受け入れる謙虚さと、
例えば神以外のものを恐れなくてもよいというような勇気。
(自分の場合は多数の日本人と同じく神すら恐れなくてよくなりましたが。)
確かに状況を受け入れたり、変えられるものを変えるには、
謙虚さと勇気が必要だと思います。
すべてを受け入れるにはまだまだ時間がかかると思いますが、
過去を苦々しく思うことはあまりないので、だいぶ受け入れつつあると思います。
そして、今できることをしようと実際行動に移しているので
ある程度は勇気を出して行動をしていると思います。
今の自分のやっていることが(少なくともこの本の著者の意図を基準にすれば)
間違っていないのだなという元気をもらえました。
そして、「パンがある、ベッドで寝られる、点呼にたたなくてよい、
死の危険から解放されているといった状況を感謝を持って受け止める」という誓い。
本当に今経験できている自由が素晴らしいことだということを、
一時も忘れたくはないと思います。
今日ハローワークの待ち時間に読んだ本で「3秒でハッピーになる名言セラピー」
というのがあるのですが、その中で繰り返し「ありがとう」と言ってみようと
書かれていました。とにかく全部のことに「ありがとう」。
「ありがとう」とつぶやきながら掃除するんだそうです。
そして帰りに、見かけた色々なものに向かってもしありがとうを言うとしたら、
と考えてましたが、そうすると、
不思議と目にするすべてのものが当たり前じゃなく見えてきました。
それがあって(またはその人がいて)本当にありがたい、幸せだと思えてきました。
いつまでもこの感謝の気持ちを忘れずにいたいと思います。
◆永遠
日常は永遠になる。
日常は歴史になる。
まだ起こっていないことを起こす責任がある。
その責任はとても素晴らしいものでもある。
この本からそういうメッセージを受け取りました。
自分や自分の周りの人が瞬間ごとの自分の決断にかかっていると考えると、
そして、自分が行動を起こさなければ消えて存在しなかったかもしれないものを
自分が行動することで現実にすることができる、と考えると
人生に問われていること(責任)がとても有意義なことに思えてきます。
その責任をみごと果たしたのが強制収容所の囚人達でした。
今の自分はそれと比べれば大して苦しい状況にはありません。
そう考えれば、自分も「人生にイエスと言う」ことができます。
どんなに苦しいときでも、そうできると思います。
(4へ続く)
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