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2024年10月07日
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一部記事を参照用に公開します

2016年01月11日
(読み返したかったのですが、システム上非公開だと見づらかったため(笑))

当時お読み頂いていた方々に心から感謝致します。
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見ちゃった・・・

2014年08月10日
「更新停止」してから長い月日がたったような気がしますが、
ここ1か月くらいJWのことを考えるきっかけがあり、
ちょっと書きたくなって書きました。


◆序文(ってかさぁ、ブログに序文っ?!)

考えるきっかけというのは、元JWのオフ会に参加させていただいたことです。
(オフ会でお話しさせていただいた方々、ありがとうございました。)
いろいろ話しながら、JWから離れて前向きな気持ちになれた時の考え方を思い出したり、
元JW先輩の方々から考え方のヒントを色々聞くことができました。

また、JWをモチーフにした映画「あかぼし」が制作されていることを
オフ会のつながりで知ったことも、JWについて考えるきっかけでした。
それを知ったときに見てみようと思ったのですが、既に映画館では上映されておらず
DVDリリースが8/8だと知り、スケジュールに書き込んでいました。

そんな昨日、「最近仕事ばかりでそろそろ新しい風を吹き込まないと
ますます世間に疎くなってしまうぞ」と危機を感じ、
新作CDをあさりにレンタルショップに行きました。

行く前はDVDのことは頭になかったのですが、
手帳に書き込んでいたので時々見ていたこともあり
そういえばそろそろあのDVDリリースだったんじゃないかな、
と思って探してみたら新作コーナーにありました。

いざ手に取ってみると、借りるかどうか迷いが出てきました。
JWのことを思い出すっていうのは、やっぱり2つの意味がありますね。
1つは、自分の生い立ちを思い出すことで
自分の中に染みついている何かの要素を把握すれば、
自分の未来を作るのに多少なりとも力になるのではないかと思っています。
もう1つの意味としては、普段は忘れている過去のいやな記憶を
呼び起こすことでもあります。
DVDを手に取った瞬間、後者のほうを直感的に強く感じ、
この忙しい時に果たして見るのは得策だろうか、と考えてしまいました。

でも、結局映画への興味が僕の脳内で勝利を収めたらしく、
aikoとか安室奈美恵とか平井堅とか槇原敬之とかのCDの入ったかごの中に納まりました。
(そういえばどのCDも「新しい風」感が高くない気が・・・。)

ま、そんなこんなで昨日映画「あかぼし」のDVDを見ちゃいました。
吉野竜平監督作品 映画『あかぼし』|公式サイト
 YouTubeオフィシャル?チャンネル

2時間強、「ほろよい」(アルコール分3%)を片手に
自分の昔の思い出と重ねながら引き込まれるようにDVDを見て、
なんだか懐かしいような、切ないような、不思議な気分になりました。

でですね、見終わってからなんだか不思議な気持ちが収まらないのです。
こんなこと話せる人も身近にいないので、これはここに書くしかないっ!と思い
記事をupした次第です。書くと結構すっきりしますからね~。


◆情景

見てすごく思ったのは、登場人物とか、雰囲気ががめっちゃJWっぽかったです。
来ている服がまさにJW!っていう感じだったこと、
群れ(? 会衆?)の監督さんがすごくJWにいそうな感じだったこと、
雑誌の雰囲気とか、集会での言い回しとか、反対にあった時のJWの描写とか。
JW現役の時の、何と言うか息がつまりそうな感じも思い出しました。
監督の方はよく取材されたなあと思いました。役者さんもすごいです。

そんなよくできた描写に、自然と昔の自分が重ね合わさり、
映画の世界に引き込まれていました。
また、あまりに現物と似た雰囲気を醸し出す情景描写に、
おかしくてつい笑ってしまったりもしました。

あとは、自分は子供時代にあからさまないじめは経験しなかったのですが、
そういえば学校の友達の輪にうまく入れてなかったなあ、
それもやっぱり誰かと打ち解けるのが苦手な原因の一つだろうなあ、
なんて思いました。

そのほかに、僕も小さいころに家庭内でのごたごたを経験しているので、
母親役がヒステリーを起こしたり、風呂場で泣いていたりする場面では、
やはり当時を思い出してしまいます。

子供のころに親の泣き声、叫び声をしょっちゅう聞いてた人って
きっとそんなにたくさんいるわけじゃないだろうなと思っています。


◆心に残った言葉たち
「一緒に家出しない?」
「(親のこと)嫌いになれたら・・・、いいんだよね。」
僕が今実家から離れてるのって、きっと家出みたいなもんなんだろうな。

家出することを選ぶ人もいる。
家に残ってうまくやっていくことを選ぶ人もいる。
どちらを選ぶにしても、強い想いを持たないとできないことです。
なぜなら、好きだから。家族が好きだから。
自分を押し殺してまでも、その絆がかつのかどうか。

僕はJWの母親とつかず離れず、
JWのことは話さないでとおとなしく伝えて生活しています。
でも、今後人生のステージを踏んでいくうえで絆の問題はきっと避けて通れず、
また大きな決断をしなければならない時もくるのではないかと思っています。
そんな先のことを考え、ちょっと不安な気持ちになりましたが、
それはその時にまた考えて決めればいいこと、そう思うことにします。
「わたしのこと、忘れないでね。もし忘れたら、
わたしのことを覚えてる人が誰もいなくなっちゃう気がする」
そう、こういう感じ。
やっぱり今、そういう孤独感を感じています。
過去の経験は誰かに話したって普通にはわかってもらえないし、
JWの教えに従って世での人づきあいが悪かったから、
今、親友なんて呼べる人はいないし。
家族とか、友達とか、全部JWに置いてきた。そんな感じです。

そういう意味で、過去を共有できる人がいてくれるって、本当にありがたいことです。


◆やっぱり母親との今後の関係

映画の描写では、母親がかなり疲れた・壊れた感が出てるので、
僕だったら、「もうだめだ、これは離れないと僕まで壊れてしまう!」
って思って完全に見放してしまうんだろうなあと思います。

自分の母親の場合、それほど壊れた感じではないので
逆にどうしていいのか迷ってしまいます。
ま、現状のように遠くからお互いの幸せを願うのが、
双方にとって一番幸せなのかもしれません。


◆その他、作品を見て、思うこと

離れてすぐのころは、上にも書いたような感じで
嫌な記憶を呼び起こすのがすごく怖かったために、
JWを扱った本や映画などを見るのにすごく勇気がいりました。
今回の作品もきっと、離れてすぐだったら
見ようとしなかっただろうな、と思います。

あとは、このような映画を元JWではない方が制作されたということは、
実は程度の差こそあれ似たような経験をしている人がそれなりにいるのではないか、
そんなことも思ったりします。


◆おわりに

更新停止したくせに、書き始めるとだらだらとむちゃくちゃ長くなってしまいます。
(あれっ? そういえば序文が一番長かったような気が…。)

やっぱりこうしてJWのことを思い出す機会があると、
自分にはまだまだ解決してないこともあるんだな、と思い出します。
まあでも、それはその都度対処していけばいいのかなって思います。

最近仕事では、何だか知らない新製品の開発とか、
中国に行く予定があったりして、忙しいです。
きっとまた、JWのことは、仕事に忙しい日々を送るので
意識上しばらく忘れることになると思います。

あ、それでまた「更新停止」になります・・・(笑)

更新停止のお知らせ

2013年02月02日
突然ですが、このたび、当ブログを更新停止することに決めました。
と言っても、ここ半年くらい何も記事を書かず放置してしまっていましたが…。

前にも書きましたが、放置しているということは
自分の中のJW問題もだいぶ解決されつつあるということかもしれません。
放っておくとだんだん記事も古くなりますし、
ここらで一区切りつけようかと思い、とりあえず更新停止することにしました。
お読み頂いた方に、心から感謝いたします。



このブログは、2010年02月26日が初投稿でした。
当時は、JWへ戻らないことをほぼ決めつつも、
JWとしてやっていった方がよいのではという気持ちも
約19%くらい残ったような状態でした。(数値が細かいな、おい)

そこから色々と記事を書く中で
自分はJWとして生きないほうが自分らしく生きられるという確信に至り、
そのために必要な行動を起こしてきました。

そして、まだまだ解決途上の問題もありますが、
生き方を大きく変えることに成功しつつあります。
少なくとも、10年前よりも活き活きとした気持ちで
日々の生活を送ることができています。



このブログで特に有意義だったと思うのは、
コメントを通しての読者の方々とお話できたことです。

様々な問題について書いた記事にコメントを頂いたことで、
別の角度からの見方や、行動に移すための勇気を頂きました。

ときには生き方についての本の紹介をして頂いたり、
自分が読んでみた本の感想をアップしたときには
長くて拙い記事をお読み頂き、コメントまで頂いたりしました。

コメントについて一番印象に残っている出来事は、
家族との関係をもう一度取り戻すことについての記事を書いた時に
皆様から温かいコメントを頂き、勇気を出して行動できたことです。

今の自分があるのは、このブログの読者の方々のおかげと言っても
過言ではないと思います。
皆様に、心からの感謝を申し上げたいと思います。



とりあえず過去の記事につきましては、
JWという複雑な問題について語るという重さや
何となく今の気持ちとして恥ずかしいような記事もあるため非公開としますが、
記事は自分が後で参照できるように保存したままにしようと思っています。

そして、またいつかJWのことについて書きたくなった時には、
このページに書くようにします。
そのときにはよろしければご覧頂ければと思います。



今まで本当にありがとうございました! m(_ _)m



P.S. 仕事続いてます(笑)

『「自分のために生きていける」ということ』を読んで 3

2011年07月18日
この記事はめっちゃ長いです。
ついでに、JWや親のことを結構批判しているところもあるので、
そういうのが嫌いな方は読まないほうがいいかもしれません。



◆「社会自体が病的にゆがんでいる」。それに合わせようとして自分自身の欲望を見失う

以前から、過労死するまで働く人の話を聞いたりすると、何かが違うと思っていました。
もっと大切にしなきゃなんないものとかあるだろう、と思うわけです。

それってどういう状態かというと、この本の言葉を借りれば
「自分の意志を放棄し、『他人のために生きる』ように強制する社会」(p.44)
に人々が「嗜癖」しているということです(「嗜癖」≒「依存」)。
こうして結局は自分自身の欲望を見失ってしまうのだそうです。

これにはなかなか共感できました。
自分のしたいことがない、分からないというのは、それまで何かに依存して、
それに合わせることしか考えてこなかったからだと思うのです。

それで僕も、エホバの証人を辞めたあとは
果たして自分はいったい何をしたいんだろう、という気持ちになったのでしょう。

そして、エホバの証人ではなくても、社会からのけ者にされないようにするために
社会に合わせ、自分のやりたいこと、自分の欲望を見失ってしまっている人が
かなりたくさんいるのではないかと思います。



◆「パワーゲーム」の戦い方(p.126~)

著者は競争を「パワーゲーム」と呼んでいるようです。

先ほど「社会自体が病的にゆがんでいる」という言葉に触れましたが、
そうやって社会を批判して現実逃避して終わり(これエホバの証人です)、
みたいになっていないのがこの本のいいところです。

著者は、生きていく以上そのゆがんだ社会で「パワーゲーム」に
参加しなければならないことを認め、その戦い方を教えてくれています。

それは、勝つことだけを目標にせず、その過程を楽しむっていうことです。
負けたら負けたでまた頑張ればいいや、と。
自分の本当にやりたいことならきっとそう考えられるはずです。

自尊心のない人は、つい数値化してものを測ってしまいがちなので
いつも勝ち負けを気にしてしまい、それはつまり周囲の人がすべて競争相手
であるということなので、結局人と仲良くなれないといいます。
これにはハッとさせられました。
確かに自分が楽しんでいれば、勝ち負けなんて関係なくなるはずです。
勝ち負けなんて関係ないと頭では考えていたものの
自尊心がないために結局自分が一番勝ち負けにこだわっていたのかもしれません。

「結果重視の価値観から降りたところに、
 本当の喜びがあり、本当のパワーがあるのです」
という言葉が心に残りました。



◆「やさしい暴力」(p.81)

親の期待を子供に押しつけてしまう、そういうことについての話です。

これ少し前の自分だなあ、と思うような文章が出てきました。

『「偽りの自己」を生きている人は、どこか自分でも「ウソくさい」と感じたり、
 人に媚を売ったり卑屈になっているような気がして自己嫌悪に陥ったり、
 自分の人生に満足感を得られないのです。』

ちょうど「小さな違和感」の時のような状況だと思います。
何かがおかしい、という感じ。
自分のやりたいことではないような気がする、という感じ。
それを既に発見できていたのがとてもよかったと思います。

この「偽りの自己」は、親の期待によりできあがることがあるといいます。
実際自分の場合もそうだったのでしょう。
エホバの証人であることを期待されていたのです。

子供はとても弱い。親がいなければ生きていけませんから。
多分自分も無意識下でそういうところがあり、
(また聖書の「親に従順に…」についてのエホバの証人の説明を真に受けていたところもあり、)
気づいたら親の思うとおりに生きてきたということなのだと思います。

自分もこの本にあるような「他人の期待を読み取ることばかり上手で、
自分自身の欲望が分からなくなってしまった子供」でした。
このように「偽りの自己」で身を固めてしまうがために、色々なサイトに書いてあるような
「死んだ魚の目をしたエホバの証人(の2世)」ができあがるのだろうなと思います。

そして、「本当の自分」「いきがい」を見出すのがなかなか大変になるといいます。
今の自分がそういう状態だと思います。

また、母親が子供にべったりになってしまうということの問題も取りあげられており、
うちではまさにそういう状態だったと思いました。

ついでに著者は、そういう親自身も実は他人の期待にそって生きてきたのでは、
と指摘しており、うちの場合もそうかもしれないなと思いました。
エホバの証人の宗教を信奉することも一種の依存ですので、
きっと母親も何かそういう問題を抱えているのだと思います。



◆怒る

著者は、両親への人生の早い時期の恨みがため込まれることが
寂しさ、孤独という状態につながると言っています。(p.114)

そして、恨みと鈍磨してしまった感情の処理には、「怒る」ことが必要だそうです。
「自尊心を奪い取っていたものに怒れ」(p.114)という部分によれば、
すべて自分が悪い、と思ってしまうことがよくあるそうです。
怒る対象を間違ってしまうとよくない結果になりそうだということが分かりました。

そこで、自分の「自尊心を奪い取っていたもの」、それはなんなのだろう、と考えてみます。

一つは、エホバの証人の教理だと思います。
一見平等主義のように見えて実はかなりの階級社会。
「特権」という言葉であいまいにされた階級が存在しています。
「長老」「僕(しもべ)」「開拓者」…。
ことあるごとにそういう「特権」を手に入れるように勧められますが、
それができる状況じゃない人はどうしたらいいというのでしょう。
さらに毎週の集会では「~するようにしましょう」「~すべき」ということが
いくつも語られ、真剣に学べば学ぶほど自分のダメな点ばかり見えてきます。
いつまでたっても受け入れられた感じなどしません。
そうした決まりもまた厳しすぎるものが多く、
努力すればするほど生活の様々な面で質が下がってしまうという悪循環に陥ります。
そして極めつけは子供を社会活動に参加しにくくさせる教えです。
世との交わりを避けるようにという教え、様々な行事に参加できない教え。
浮いたように感じる機会が(というか実際に浮いてます)多くて、
周りの人たちとの距離を感じることがすごく多い。
これでは自尊心など持てたものではありません。

そしてもう一つは、それを信じて実践した母も問題だったと思います。
母は僕がエホバの証人であることを期待していました。
僕がエホバの証人であることが一番の幸せだと考えています。
そしてエホバの証人の教えが正しいと信じて疑わなかったので
その教えに足りない部分を見抜くことができず、
僕の必要を満たすことができませんでした。
そして母自身、自尊心を持てないまま子育てに突入してしまったのだと思います。
エホバの証人の教えに依存して自尊心のなさを紛らしている状態の人が、
どうして自分の子どもに自尊心を持つ方法を教えられるというのでしょう。
自尊心が持てないのは自分も経験していることなので、この点同情してしまいますが。

ここで、さらにもう一つ、
自分で自分を縛っていたので苦しくなったというのもあるかなと思いましたが、
実はそれこそ自尊心のない状態にありがちな
「自分が悪い」と思ってしまうことなのかもしれません。
自分は特に十代後半以降は自分自身を何かの決まりで縛ってしまうことが多かったのです。
でもそれって、どうもこの本を読むと決まりへの依存という一種の依存で、
自尊心を持って生きる生き方を教えてもらえなかったことが根本原因にあると考えられます。
確かにこれからは自分で自分を縛ることのないように気をつける必要はありますが、
それでも根本原因は自分にあるのではないということを認識したいと思います。

さて、これで十分「怒った」と思います。なんだかすっきりしました。(笑)
きっと今ので、生き生きした感情に少し近づいたのでしょう。
考えてみたら、人間は怒って当たり前なんですからね。
僕は「怒らなさそう」だとある人から言われたことがありましたが、
裏を返せばそんな僕は実は生き生きしてないということだったのかもしれません。



◆「ほれこみ」(p.129)

「あなたがいきいきと喜んだり涙を流したりした…経験」
そういう「ほれこみ」の数が人生の豊かさにつながるといいます。
この体験を心の「預金通帳」に書き込み、死ぬときまでに
それをどれだけ増やしてあの世にいけるかが本当の勝負だということです。

これからはそういった経験を本当に大事にしたいと思いますし、
そういうことにエネルギーと時間を費やすことを惜しまないことが
とても大事なのだなあと思いました。
これって本当に自分の欲望ややりたいことに敏感でないと、
「ほれこみ」は発生しないわけですから、
自分の欲望ややりたいことは何なのか自問するのも大事になってきますね。

これがきっと「人生にイエス」の本でいう「体験価値」ですね。
少しあの本とつながってると思います。
あの本では「態度価値」が最重視されていましたが、それは「態度価値」でしか
人生に意味を見いだせないような極限の状態に焦点を当てていたからでしょう。
今の日本では別に明日飢え死にするような心配は全くないですから、
「体験価値」も同じくらい重要視しなければならない状況なのだと思います。
「態度価値」は、「創造価値」や「体験価値」を生み出すのに疲れてしまったり
または生み出せない状況にあったりする人のための
最後の砦のようなものなのではないかと勝手に思っています。



◆ほれこめる条件

それは、「まず自分自身にほれこむこと」だといいます。(p.134)

「ほれこむ」と言えばやはり恋愛がありますけども、
自己評価が低いとそれがうまくいかないという
以下のようなパターンが示されていました。

「あんなすてきな人が、私なんかを好きになるはずがない」と考える
 ↓
あまりみんなが手を出さないような人を選ぶ
 ↓
「仕方なく」で選んだ人だから、心から愛せない
 ↓
関係が緊張、破綻
 ↓
さらに自己評価が低くなる

これを見て、自己評価が低いってなんて損なことなんだろう、と思いました。
これまでは自分を愛することは後まわしというか全く考えていませんでしたが、
自分を自分で愛せていないと、結局どんな関係もうまくいかなくなってしまう、
ということがよく分かりました。

そんな様子をまとめたのが筆者のこの言葉。
「『私は十分、幸せだ』という自己充足をしている。…
 実は、そういう状態のときこそ、本当に他人を愛せるのです。」
人を幸せにしたいなら、まず自分が幸せになる方が先、っていうことですね。
自分が幸せじゃなかったら、結局他人に幸せにしてもらわなきゃならなくなるから。
今まで人間関係がうまくいかなかった原因が何なのかが分かり、納得できました。



◆自己肯定

著者は「自分の欠点を探し回るのはもうやめよう」(p.152)と勧めています。
この部分を読んで、自分の欠点に注目して自分をよくしようとしても、
結局行動できない状態になってしまうことが分かりました。

ここで、自己肯定を高めるトレーニングが紹介されています。
「自分はダメだ」という気持ちから解放されるためのトレーニングです。

「あなたは、鏡に映る自分の目をじっと見つめながら、次のように言えますか?

  あなた、ステキよ。それでいいのよ、そのままでいいのよ。
  あなたは人に愛されて当然だし、受け入れられて当たり前なのよ。

 もしいえないようなら、練習しましょう。」(p.156)

言えません、というのが僕の答えでした。
この文章が女性の使う言葉で書かれていたからです。

というのは冗談で(それくらいは柔軟性があります)、この文章を最初に読んだとき、
そうか、これを自分に言えるようになれば自信が持てるのか、と思いました。
そして、生き生きしてる人ってのはこういう前提で生きてるのだな、と。
やっと問題の核心部分に到着できたのだ、という感動を覚えました。

それで、早速男でも使える言葉に変えて書き出し(笑)、そいつを読んでみました。
読むのはまあなんとかできたんですけど、
実際鏡の前で自分の目を見ながら言うと、思わず笑ってしまいました。
照れくさいっていうかなんていうか、まあそんな感じです。
その後、何回か言っているうちにだんだん慣れてきました。
でもやっぱりまだ笑っちゃうことがあります。

で、日常で今までは引っ込み思案になっていたかもしれないような場面に遭遇したときに、
この言葉を思い出して、結局行動しちゃうという感じなんです。
積極的になれている感じです。

おもしろいですね。
自分はそのままでいい、と言い聞かせたので
自分の欠点に目が行かなくなってしまったんでしょう。
だからより積極的に人と関われるようになったのだと思います。

また、別の本で読んだんですが、人は、あることを口にすると
その理由を探しちゃうんだそうですね。
「自分はステキだ、そのままでいいんだ、愛されて受け入れられて当然だ」
って言うと、きっとその理由を探すようになるのでしょう。
自分にはこんないいところもある、こんなこともできる…、と。

実際やってみていきなり効果が感じられたので、
これは自分にはかなり使えると思いました。
以前と比べて生活する上で気が楽になったように思います。

あとはこれを継続できるかが大事なんだろうなと思います。



◆「インナーチャイルド」

ここで言う「インナーチャイルド」とは「子供のあなた」(p.169)のことだそうで、
それをちゃんとかわいがってあげたほうがいいということです。
そんな子供のような欲求にも耳を傾けて、行動するということですね。
子供に返る時間があってもよいのだということです。
いつも気が抜けない状態では息が詰まってしまいますしね。

あとは、自分の中の「インナーチャイルド」を
呼び出してみるという訓練方法もありました。(p.177)
子供の頃の自分をイメージして、その子がなんていってるか、
何か一緒にやりたいことがあるか聞いてみるという方法です。

ちょっとこれはなかなか難しかったのですが、まあ、
自分の中の子供は多少贅沢がしたいそうです。
いや、贅沢っていうか、世間一般と同じように普通に暮らしたいそうです。
缶ジュースが気軽に買えるくらいの経済状態を求めているようです。

ああ、これが僕の本心なんだな、って思いました。
なんか単純で分かりやすい欲求ですね。

自分の欲求を押し殺しすぎているとその子は本当に何も言ってくれないそうです。
単純でしたが、何か出てきただけよかったんだなと思ってます。

多分もっと聞いていくと色々出てくるんじゃないかと思います。
それはまた今度。

ところで初めはこの手法、「呼び出す」という言葉で死んだ人を呼び出すイメージと
つながってしまい、どこかオカルトっぽい雰囲気だなぁと思ってしまいました。
でも、これは実際のところ過去の自分を見つめる作業なわけですし、
子供の言ってることから、「あ、自分はこれがしたかったんだな」と思えれば、
それが自分の欲求を押し殺してしまわないためのきっかけになるわけなので
多分関係ないだろうと思っています。





そのほかにもいろいろありますが、いろいろありすぎて書き切れません。
特に自己効力感を高めるトレーニングを継続して頑張りたいと思います。

前回に引き続きまた長くなってしまいましたが、目を通してくださった方には厚く御礼申し上げます。

そして、就職前にこうして色々考え、行動する時間がとれたことを
本当にありがたく思っています。

『「自分のために生きていける」ということ』を読んで 2

2011年07月18日
◆「偽りの自己」のできあがり方

自分を否定してしまう考え方や、生き生きできない状態といったものの根本原因は、
この「偽りの自己」を作り上げてしまったことです。

この原因としてはまず親があるのかもしれません。
また、僕の場合は親が信奉する宗教も絡んでいました。

そしてそれが自尊心を低くする原因になってしまっており、
ひいてはそれが生き生きと生活したり人間関係を築いたりする上での障害となっていたのです。



◆自己肯定感を高めるトレーニング

次の記事で詳しく書きますが、
とにかく自分自身に自分を肯定する言葉をかけてあげるということです。
これがやってみるとなかなか恥ずかしいんですが、
意外なことに、もうすでに役に立っています。

そして、自分を肯定する、つまり自分はこれでいいんだ、という前提があってはじめて
生き生きと毎日の生活を送れるのだなという実感を少し感じつつあります。



◆親密さ

著者は「対等であることは二人の人間が親密であることの必須要件です」(p.219)
と述べていて、これが、「自己主張」と「他者承認」のバランスの取れた状態、
ということのようです。

どちらも「自分を認めてもらいたい」と思う気持ちがあるわけですから、
うまくバランスが取れると親密な関係になれるわけですね。
ちょっとわがままを言うときもあれば、相手に合わせてあげることもある、
そういうことだと思います。

バランスが大事と言われれば当たり前のようですが、自分は言われないと気づかなかったです。
自分の場合は明らかに「自己主張」が足りず、
結局相手もそれに戸惑ってしまい、なかなかよい関係を築けない状態だったと思います。
これからは日常生活でも意識して自分の気持ちや意見をしっかり言っていきたいと思います。



◆その他

僕には、自分を規則で縛ってしまうという依存もあったことに気づきました。
この本を読んで、まず最初に規則があるというわけではなく、
まずはそれぞれ自分のやりたいことをやって生き生きと生活するわけですが、
そこで問題が生じてしまうので、それを解決するために規則があるのだと再認識しました。
とにかく自分のやりたいことを極力尊重するのが大前提なのだと思いました。



細かい点は次の記事に書きますが、書いてみるとかなり長くなってしまいました。
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